ペルー旅行

会社から入社30年記念のご褒美がでて、10日間の休暇をとることができた。

アフリカに行こうかと思ったが、政情不安のため行くことができず、今回はペルーに行くことにした。

旅行会社に払ったのは45万円/人くらいだと思う。

まさか、このあと、ブラジル赴任の辞令がでるとは思っていなかった。

それがわかっていれば、当然、南米旅行を選ばなかったのに。



いろいろ検討し、今回はJTBのツアーに参加した。

標高が高いところに行くために、気圧計、高度計、温度計を買って、いつも持ち歩いていた。



★:特筆すべき点

月日日本時間現地時間分 類内 容気温℃標高m天気
7/25:45発自宅~自宅からタクシー(2240円)と名鉄電車(470円)で中部国際空港へ。2910晴れ
6:30着中部国際空港所要時間は約45分。タクシーは前日予約しておいた。
6:50JTB窓口前集合。名古屋組は2人。私たちだけ。
7:50発飛行機ANA338 座席番号22B ③+3席 主翼の少し後ろ、左窓側。(870hPa)
雲が多かったが、富士山の半分から上がきれいに見えた。
8:50着成田空港JTBのカウンターで聞いたらデルタ航空の搭乗手続きは早目(12:15)
に始まるとのこと。集合時間(13:30)より早く確認してよかった。
旅行者全員で12人。添乗員は相原さん。50歳くらいのベテラン男性。
★最高齢は83歳。愛知県豊川市から家族3人で参加。
UFJ銀行で両替をした。
15:50発飛行機デルタ航空DL056 53E 3+③+3席 後ろから5列目。隣席は不在。(790hPa)
日本人のキャビンアテンダント(CA)は少ない。平均年齢50歳。
1/3は男のCA。各座席にテレビが付いていた。
2時間、7時間、11時間後に食事が出た。鶏肉料理、スナック、牛肉
料理。 おいしいと思わないが、だいたい完食。
4.10着15:10着アトランタ空港滑走路6本で大きな空港。肥満のアメリカ人が多い。30320晴れ
入国検査は30分くらいで問題なく通過。くつは脱いだ。
空港の外に出なかったが、外のようすを窓から見ると、走ってる車が
デカかった。
17:45発飛行機デルタ航空DL349 42G 2+3+②席 主翼の少し後ろ、右窓側。
出発して2時間後に食事。パスタを完食。
CAは40歳くらい。座席にテレビがないので退屈。本を読んだり音楽
を聞いたり寝たりした。
★着陸したとき拍手が起きたのはペルーの明るい国民性のため?
23:55着リマガイドの佐藤さん(女性)は35年のベテラン。60歳ちょっとか?20150曇り
サンマルティン広場、カルマス広場などの周辺をバスで移動。
大聖堂、デサンパラード駅、大統領官邸、リマ市役所もあった。
ホテルSHERATON LIMA HOTEL & CONVENTION CENTERの12階。
ミネラルウォーターが全員に1本づつ配られた。
00:45寝55チャンネルは日本放送。バスタブは大きい。
7/319:20起5:20起ホテル時差ボケの感触なし。モーニングコールが5:30になかった。遅れた。
6時にバイキングの朝食。コーヒーは薄目だった。
今日もミネラルウォーターあり。
6:35発バス日焼止め、帽子、サングラス、カメラ、貴重品を持ってバスで出発。
パンアメリカンハイウェイを4時間南下。2時間後トイレ休憩。
バスにトイレが付いているベンツで、臭気とハエが気になった。
貧民住宅多い、ゴミ多い、ワイロ多い、日本車多い、バナナうまい、
地震の痕跡あり、など、ガイドさんのコメント&個人的感想。
10:55着イカあまり大きくない町。砂漠の中にレンガ造りの家が密集している。300曇り
地上絵飛行後、レストランで食べた昼食がうまかった。特にケーキ。
10:40発ナスカ地上絵セスナ機に5人+操縦士。前から2列目の右側に乗った。曇り
★地上絵に集中し、右旋回、左旋回をするうちに気持ち悪くなった。→晴れ
気持ち悪くなったのは14人中4人だけ。
事前に酔い止めの薬を飲んでいても急旋回が効いた。
宇宙飛行士とハチドリがよく見えた。飛行時間は70分くらい。
15:55発バス途中1回休憩。そこのレストランで自己紹介した。
その後はほとんど寝ていた。
20:25着リマのホテルSHERATON LIMA HOTEL & CONVENTION CENTERで夕食。
バイキング方式。デザートがうまかった。
ビール4$、ジュース4$。ジュースは無料になった。
23:30寝地下1階のショッピングセンターでTシャツ購入。11$。
7/419:20起5:20起リマのホテル荷作りし、6:10に部屋の前に出した。15曇り
朝食はホテルのレストラン。
日本語ガイドが交代。サユリさん(サイディさん)に。
今日から行くことになっている高地に備えて深呼吸をした。
バス道沿いの建物の壁に落書き多い。
スタイルがいい女性が多い。背筋が伸び、肩幅が狭く、腕が長く、
目が大きく、顔が小さい。
9:55発飛行機1117 18A ③+3席 一番左、主翼の少し後ろ。(785hPa)
CAは25~30歳くらい。きれいな女性だけ。あいそは悪い。
10:55着クスコ高地での頭痛・吐き気・発熱・下痢の症状はない。3300
中型バスで移動しながら観光ポイントを回る。
「カミソリの刃も通さない」と言われるインカの石組のすごさを
実感する「12角の石」を見た。
サントドミンゴ教会でも古い石組が残っていた。
14:30まで食事をした。生演奏がよかったのでCDを買った。
コカ茶は独特の味だった。
サクサイワン遺跡、ケンコー遺跡観光後、バスに乗車。
16:20発民族衣装を着てカメラ撮影を生業にしている人がいた。
バスバスの中では、ほとんど寝ていた。2900晴れ
17:50着ウルバンバ町らしい建物は少ない。到着したとき、かなり頭が痛かった。
ホテルHOTEL SAN AGUSTIN URUBAMBAは2階建てのリゾートホテル。
チューブ式の歯磨き粉のキャップを開けたらムニュムニュと中身
が出てしまった。
寒かったのでヒーターを部屋に運んでもらった。
ホテルから道を隔てて向かい側の店は、日本の60年前の田舎の
雑貨屋という感じ。
★サユリさんに教えてもらって、初めて南十字星を見た。
7/55:00起ホテル朝食後、6:00荷物回収、出発6:30。6
頭痛は薬を飲んだら10分で治った。
6:30発バス聖なる谷を通過。塩の採れるところ(マラス)の横を通った。
7:10着オリャンタイタンボ小さい町。石で造った道が悪く、バスが揺れた。
インカ時代の水路が残っていた。
町から離れた寒い谷間に人がいるのが不思議だった。
7:20発列車展望列車「ビスタドーム号」 18番 前から5番目の席。
8:50着左側だったので、谷と向かいの山がよく見えた。軽食が出た。
9:17発バスアグアスカリエンテスで列車を降り、バスに乗り換えた。
ジグザグの道を登り、マチュピチュの段々畑が見えてきた。
9:40着マチュピチュ★日ごろの行いがいいため、絶好の天気に恵まれた。252400晴れ
入場前に、トイレ1ソル、荷物預け5ソル。
入場券に朱印を押してもらって中に入った。
左側の坂道を登ると世界的に有名な光景が現れた。
想像しているより広い。階段・傾斜などのアップダウンも多い。
ガイドブックに載っている写真を撮影しているところの後ろには
聖なる山(マチュピチュ山)があって、そこから流れてくる水が
遺跡の中に水場を造っている。今でも水が流れていた。
13:55(昼食)サンクチュアリロッジで昼食。ここに宿泊すると約10万円かかる。
きれいな食堂でバイキング料理を食べた。
14:20~15:00は再度入場し、雲が多くなったマチュピチュを見た。
バス有名な「グッバイボーイ」はいなかった。
バスがガードレールのない道を走るので、転落の危険を感じた。
バスを降りたところに店がたくさんあって、コースターなどを買った。
16:50発列車列車は4人がけの席で、前の席で外人がいちゃいちゃしていた。
車内でファッションショーがあった。乗務員2人(男女)がモデル。
18:20着オリャンタイタンボ着後バスに乗り換えた。バスで約2時間移動。
20:15着クスコバスでレストランへ。途中、クスコの夜景を見た。
食事中、生演奏と踊り(フォルクローレショー)があった。
誕生日の人と新婚旅行の人は、突然お祝いされた。
21:50着ホテルHOTEL SAN AGUSTIN INTERNATIONALの109号室。153400晴れ
23:00寝古いホテル。
7/64:45起ホテル朝食はバイキング料理。コーヒーが濃いのでミルクで4~5倍に
薄めた。頭痛のため薬を飲んだ。
6:15発バス6:30にバスを降りて売店で塩を買った。
6:40大きなバスに乗り換え、長距離移動開始。
大きなパンをサユリさんが買って、全員に配った。うまかった。
9:30リャマ、アルパカ、リクーニャ、ねずみのいるみやげもの屋で休憩。
10:30しばらくして、標高約4335m(4338m?)のラ・ラヤ峠で再休憩。
草が生えるだけのなだらかな山地にみやげもの屋があった。164335快晴
11:40昼食。おにぎり弁当。つけものが一番うまかった。
14:25チチカカ湖ここからの移動用バスに荷物を移し替えて乗船。
トトラ葦でできた浮島ウロス島を船で訪問した。
ウロス島の上面から湖底まで17m、ウロス島の厚みは2.5m。
電気も水道もないところで生活している人に接し、豊かさの尺度
について考えさせられた。
少し頭が痛い。フジモリさんがここに小学校を作ったとのこと。
ガイドさんの全旅行中の解説では、フジモリさんは評判がよさそう。
教育、経済、治安についての評判。日本人向けのメッセージか?
17:00ホテルJOSE ANTONIO PUNO HOTEL 513号室。湖の見える部屋。
3月に建ったばかりの新しいホテル。従業員も洗練された感じ。
18:00(夕食)★食事中ビールを飲んだ。これと食べすぎが悪かった。このとき以 
降、高山病が激しくなった。頭痛+吐き気で夜中に5回ほど起きた。
3回酸素吸入したが改善されなかった。ホテルの酸素吸入は無料。
7/74:20起ホテル昨日は苦しくて動けなかったので、朝、シャワーを浴びた。03800晴れ
朝食は食べず、酸素吸入した。
6:00発バス寒い。気持ちが悪い。
7:00着フリアカ小さい町の外れに飛行場があった。機内での吐き気が心配。
7:40発飛行機LAN LP115 12K 3+③席 まん中あたり。
CAはスリット付きミニスカート。あいそは悪い。40分で着陸。
(クスコ)一旦、クスコに着陸し、私たちは降りないままリマに出発。
リマまで1時間。
10:10着リマバスで昼食場所へ。20150薄曇り
途中、大統領官邸の護衛兵交代、サンフランシスコ教会を見た。
12:30(昼食)レストランでペルー料理の昼食。前菜が多くて、メインをほとんど
食べられなかった。日本人向けの量にしてほしい。
14:20黄金博物館見学。ガイドさんの説明が詳しすぎで疲れた。
16:30日本人が経営しているみやげもの屋さんで買い物と休憩。
チョコレート、コーヒーなどを買った。シャワーを使った人もいた。
19:40(夕食)中華料理の夕食。味はまあまあだが量が多い。
前に座った新保さんのお勧めは、インド旅行。次が北欧クルーズ。
帰りのバスから見ると、やっぱり日本車が多い。トヨタ、日産、本田、
マツダ、三菱、スズキ、スバル。警察の車はランクルなどトヨタ車。
タクシーはカローラ。長持ちするから評判がいいらしい。
00:45発飛行機また飛行機。DL350 40G 2+3+②席 主翼の少し後ろ、右窓側。
7/87:00着アトランタ2時間40分の乗り換え時間の間、検査は短時間で終了。ただ、
添乗員の相原さんだけ詳細な質問をされて時間がかかった。
買い物少々、トイレなど余裕があった。
10:40発飛行機デルタ航空DL55 51F 3+③+3席 中の右。妻の隣は佐藤さん。
「携帯品・別送品申告書」「JTBアンケート」を書いた。
CAは約5人。平均年齢50歳。日本人は1人。
カナダ、アラスカの上空を通過。途中、追い風になった。
機内食は半分食べた。チキン、スナック、パスタ。約13時間。
7/912:40着成田着後すぐに解散。蒸し暑い。
みやげもの屋、夕食で時間をつぶした。ラーメンがうまかった。
19:25発飛行機ANA339 22J 3+③席 主翼の少し後ろ、右窓側。
CAは4人。平均年齢30歳。
20分ほど飛んだところで揺れ始めた。雲の中で何も見えない。
アップルジュースを飲んだ。
20:15着中部国際空港次の日の朝食をコンビニで買い、電車に乗った。
21:00発電車最寄りの駅まで470円。
タクシー1880円。空港から自宅までタクシーで行くと7000円ほどかかる。
21:35着自宅やっと到着。新聞と雑誌が玄関にちらかっているのを片付けて曇り
中に入った。
コーヒーのおみやげが不足してたり、ビールを飲んで高山病が
ひどくなったり反省点はあるが、何とか帰れてよかった。
風呂に入って寝た。




中部国際空港から成田空港へ向かう途中、飛行機から富士山が見えた。
















成田~アトランタ~リマを経由し、ナスカの近くの町に到着。

左の写真は、セスナで地上絵を見に行く前、解説を聞いているところ。













30分ほどセスナに乗って、地上絵の上空に着いた。

ハチドリ、サル、クモ、イヌなどが描かれていた。

地上絵に意識を集中させ、右旋回、左旋回をするうちに気持ち悪くなった。

事前に酔い止め薬を飲んでいたが、普通の量の半分しか飲まなかったのが原因かもしれない。

薬の量以外が原因の可能性もある。








リマから飛行機に乗って降りたところは標高3300mのクスコ。

ここで高山病の症状はなかった。














12角の石。

職人のワザを感じた。

イースター島の石組みと同じ印象。













アルパカ。

見た目も性格も柔らかい感じ。

ペットにしたい。

アルパカが集まった広場の中で見ていたら、人が近づいても逃げることはなく、餌を与えても急に集まってくることもなかった。

一日ボーっと、のんびりと見ているのは癒しのためにいいかもしれない。








クスコの近くの遺跡もすばらしかったが、あまり有名ではないのが不思議。
















列車に乗ってマチュピチュに向かった。

















マチュピチュ。










































マチュピチュ内のようす。

日本にある石組みに似ているような気がした。















列車の中で、乗務員のファッションショーがあった。
















チチカカ湖と湖に浮かぶ島:ウロス島。

住んでいる人は東洋人に似ていた。















チチカカ湖をバックにホテルの中で写真を撮った。

この日の夜から高山病がひどくなった。

酸素吸入しても改善は少なかったと思う。













リマで観光。

冬のリマは、ガルーアという霧が立ち込め曇天となる日が多いらしい。

訪れたのは7月だったので、噂どおりの霧で白々としていた。













高山病について


旅行から帰ってからも高山病の影響で体調が悪かった。

①37度くらいの微熱が続いている。

②口の中(特に舌の先)が痺れている。←いままで経験のない痺れ。

③だるい。

④便秘と下痢を繰り返す。

この症状が二週間くらい続いたと思う。

そこで、高山病について調べてみた。


高山病というのは、低地から高地に上がったときに、低気圧、低酸素に体が順応できずに起こる一連の症状の総称。

具体的には、標高1500m以下の場所から2000m以上の高地に48時間以内の短時間で到達した場合、一日に高度差500m以上上昇した時に発症し、頭痛、倦怠感、耳鳴り、腹部膨満感、睡眠障害などを起こす。

そしてこれがさらに重症化すると肺に水がたまる「高地肺水腫」や脳がむくむ「脳浮腫」になり、適切な治療を受けると共に、すぐに低地に下りないと大変危険な状態になり、時には死亡するケースもある。

厄介なことに、この高山病になるかならないかは、かなり個人差があると共に、同じ人でも体調などにより異なると言われている。

前回大丈夫だったから次回も平気とは限らないし、程度も人それぞれ。

【私の症状の原因として考えられるもの】

①単なる疲れ。

②高山病の後遺症。

③コカ茶の影響。 ←舌の先が痺れると書いてあるものがある。

④時差、気温差、気圧差、湿度差などの急激な環境変化。


ペルー旅行中の標高を滞在日数、場所と一緒に表にした。


日数場所標高m
0.9リマ150
1.1150
1.3クスコ300
1.7300
1.9リマ150
2.1150
2.4クスコ3300
2.8ウルバンバ2800
3.12800
3.3マチュピチュ2400
3.62400
3.9クスコ3300
4.13300
4.5ララヤ峠4335
4.9チチカカ湖3800
5.13800
5.53800
5.6フリアカ3300
5.8リマ150




これをグラフにするとよくわかる。







30年ほど前、標高4100mの山でも高山病になったが、今回はさらに高い場所に行ったため、症状がひどかった。



もう一度行くとすれば、チチカカ湖に行かないルートを選択したい。















以上、終わり。

カンボジア旅行

カンボジア旅行の記録を紹介する。今回の旅行の目的はカンボジアの遺跡を見ること。 2年連続で海外の遺跡観光をすることになった。カンボジアの遺跡が造られたのは9~13世紀。昨年訪問したメキシコの遺跡は4~11世紀。ほとんど年代が重なるが、少しだけカンボジアの遺跡が新しい。 旅...