アフリカに行こうかと思ったが、政情不安のため行くことができず、今回はペルーに行くことにした。
旅行会社に払ったのは45万円/人くらいだと思う。
まさか、このあと、ブラジル赴任の辞令がでるとは思っていなかった。
それがわかっていれば、当然、南米旅行を選ばなかったのに。
いろいろ検討し、今回はJTBのツアーに参加した。
標高が高いところに行くために、気圧計、高度計、温度計を買って、いつも持ち歩いていた。
★:特筆すべき点
月日 | 日本時間 | 現地時間 | 分 類 | 内 容 | 気温℃ | 標高m | 天気 |
7/2 | 5:45発 | 自宅~ | 自宅からタクシー(2240円)と名鉄電車(470円)で中部国際空港へ。 | 29 | 10 | 晴れ | |
6:30着 | 中部国際空港 | 所要時間は約45分。タクシーは前日予約しておいた。 | |||||
6:50JTB窓口前集合。名古屋組は2人。私たちだけ。 | |||||||
7:50発 | 飛行機 | ANA338 座席番号22B ③+3席 主翼の少し後ろ、左窓側。 | (870hPa) | ||||
雲が多かったが、富士山の半分から上がきれいに見えた。 | |||||||
8:50着 | 成田空港 | JTBのカウンターで聞いたらデルタ航空の搭乗手続きは早目(12:15) | |||||
に始まるとのこと。集合時間(13:30)より早く確認してよかった。 | |||||||
旅行者全員で12人。添乗員は相原さん。50歳くらいのベテラン男性。 | |||||||
★最高齢は83歳。愛知県豊川市から家族3人で参加。 | |||||||
UFJ銀行で両替をした。 | |||||||
15:50発 | 飛行機 | デルタ航空DL056 53E 3+③+3席 後ろから5列目。隣席は不在。 | (790hPa) | ||||
日本人のキャビンアテンダント(CA)は少ない。平均年齢50歳。 | |||||||
1/3は男のCA。各座席にテレビが付いていた。 | |||||||
2時間、7時間、11時間後に食事が出た。鶏肉料理、スナック、牛肉 | |||||||
料理。 おいしいと思わないが、だいたい完食。 | |||||||
4.10着 | 15:10着 | アトランタ空港 | 滑走路6本で大きな空港。肥満のアメリカ人が多い。 | 30 | 320 | 晴れ | |
入国検査は30分くらいで問題なく通過。くつは脱いだ。 | |||||||
空港の外に出なかったが、外のようすを窓から見ると、走ってる車が | |||||||
デカかった。 | |||||||
17:45発 | 飛行機 | デルタ航空DL349 42G 2+3+②席 主翼の少し後ろ、右窓側。 | |||||
出発して2時間後に食事。パスタを完食。 | |||||||
CAは40歳くらい。座席にテレビがないので退屈。本を読んだり音楽 | |||||||
を聞いたり寝たりした。 | |||||||
★着陸したとき拍手が起きたのはペルーの明るい国民性のため? | |||||||
23:55着 | リマ | ガイドの佐藤さん(女性)は35年のベテラン。60歳ちょっとか? | 20 | 150 | 曇り | ||
サンマルティン広場、カルマス広場などの周辺をバスで移動。 | |||||||
大聖堂、デサンパラード駅、大統領官邸、リマ市役所もあった。 | |||||||
ホテル | SHERATON LIMA HOTEL & CONVENTION CENTERの12階。 | ||||||
ミネラルウォーターが全員に1本づつ配られた。 | |||||||
00:45寝 | 55チャンネルは日本放送。バスタブは大きい。 | ||||||
7/3 | 19:20起 | 5:20起 | ホテル | 時差ボケの感触なし。モーニングコールが5:30になかった。遅れた。 | |||
6時にバイキングの朝食。コーヒーは薄目だった。 | |||||||
今日もミネラルウォーターあり。 | |||||||
6:35発 | バス | 日焼止め、帽子、サングラス、カメラ、貴重品を持ってバスで出発。 | |||||
パンアメリカンハイウェイを4時間南下。2時間後トイレ休憩。 | |||||||
バスにトイレが付いているベンツで、臭気とハエが気になった。 | |||||||
貧民住宅多い、ゴミ多い、ワイロ多い、日本車多い、バナナうまい、 | |||||||
地震の痕跡あり、など、ガイドさんのコメント&個人的感想。 | |||||||
10:55着 | イカ | あまり大きくない町。砂漠の中にレンガ造りの家が密集している。 | 300 | 曇り | |||
地上絵飛行後、レストランで食べた昼食がうまかった。特にケーキ。 | |||||||
10:40発 | ナスカ地上絵 | セスナ機に5人+操縦士。前から2列目の右側に乗った。 | 曇り | ||||
★地上絵に集中し、右旋回、左旋回をするうちに気持ち悪くなった。 | →晴れ | ||||||
気持ち悪くなったのは14人中4人だけ。 | |||||||
事前に酔い止めの薬を飲んでいても急旋回が効いた。 | |||||||
宇宙飛行士とハチドリがよく見えた。飛行時間は70分くらい。 | |||||||
15:55発 | バス | 途中1回休憩。そこのレストランで自己紹介した。 | |||||
その後はほとんど寝ていた。 | |||||||
20:25着 | リマのホテル | SHERATON LIMA HOTEL & CONVENTION CENTERで夕食。 | |||||
バイキング方式。デザートがうまかった。 | |||||||
ビール4$、ジュース4$。ジュースは無料になった。 | |||||||
23:30寝 | 地下1階のショッピングセンターでTシャツ購入。11$。 | ||||||
7/4 | 19:20起 | 5:20起 | リマのホテル | 荷作りし、6:10に部屋の前に出した。 | 15 | 曇り | |
朝食はホテルのレストラン。 | |||||||
日本語ガイドが交代。サユリさん(サイディさん)に。 | |||||||
今日から行くことになっている高地に備えて深呼吸をした。 | |||||||
バス | 道沿いの建物の壁に落書き多い。 | ||||||
スタイルがいい女性が多い。背筋が伸び、肩幅が狭く、腕が長く、 | |||||||
目が大きく、顔が小さい。 | |||||||
9:55発 | 飛行機 | 1117 18A ③+3席 一番左、主翼の少し後ろ。 | (785hPa) | ||||
CAは25~30歳くらい。きれいな女性だけ。あいそは悪い。 | |||||||
10:55着 | クスコ | 高地での頭痛・吐き気・発熱・下痢の症状はない。 | 3300 | ||||
中型バスで移動しながら観光ポイントを回る。 | |||||||
「カミソリの刃も通さない」と言われるインカの石組のすごさを | |||||||
実感する「12角の石」を見た。 | |||||||
サントドミンゴ教会でも古い石組が残っていた。 | |||||||
14:30まで食事をした。生演奏がよかったのでCDを買った。 | |||||||
コカ茶は独特の味だった。 | |||||||
サクサイワン遺跡、ケンコー遺跡観光後、バスに乗車。 | |||||||
16:20発 | 民族衣装を着てカメラ撮影を生業にしている人がいた。 | ||||||
バス | バスの中では、ほとんど寝ていた。 | 2900 | 晴れ | ||||
17:50着 | ウルバンバ | 町らしい建物は少ない。到着したとき、かなり頭が痛かった。 | |||||
ホテル | HOTEL SAN AGUSTIN URUBAMBAは2階建てのリゾートホテル。 | ||||||
チューブ式の歯磨き粉のキャップを開けたらムニュムニュと中身 | |||||||
が出てしまった。 | |||||||
寒かったのでヒーターを部屋に運んでもらった。 | |||||||
ホテルから道を隔てて向かい側の店は、日本の60年前の田舎の | |||||||
雑貨屋という感じ。 | |||||||
★サユリさんに教えてもらって、初めて南十字星を見た。 | |||||||
7/5 | 5:00起 | ホテル | 朝食後、6:00荷物回収、出発6:30。 | 6 | |||
頭痛は薬を飲んだら10分で治った。 | |||||||
6:30発 | バス | 聖なる谷を通過。塩の採れるところ(マラス)の横を通った。 | |||||
7:10着 | オリャンタイタンボ | 小さい町。石で造った道が悪く、バスが揺れた。 | |||||
インカ時代の水路が残っていた。 | |||||||
町から離れた寒い谷間に人がいるのが不思議だった。 | |||||||
7:20発 | 列車 | 展望列車「ビスタドーム号」 18番 前から5番目の席。 | |||||
8:50着 | 左側だったので、谷と向かいの山がよく見えた。軽食が出た。 | ||||||
9:17発 | バス | アグアスカリエンテスで列車を降り、バスに乗り換えた。 | |||||
ジグザグの道を登り、マチュピチュの段々畑が見えてきた。 | |||||||
9:40着 | マチュピチュ | ★日ごろの行いがいいため、絶好の天気に恵まれた。 | 25 | 2400 | 晴れ | ||
入場前に、トイレ1ソル、荷物預け5ソル。 | |||||||
入場券に朱印を押してもらって中に入った。 | |||||||
左側の坂道を登ると世界的に有名な光景が現れた。 | |||||||
想像しているより広い。階段・傾斜などのアップダウンも多い。 | |||||||
ガイドブックに載っている写真を撮影しているところの後ろには | |||||||
聖なる山(マチュピチュ山)があって、そこから流れてくる水が | |||||||
遺跡の中に水場を造っている。今でも水が流れていた。 | |||||||
13:55 | (昼食) | サンクチュアリロッジで昼食。ここに宿泊すると約10万円かかる。 | |||||
きれいな食堂でバイキング料理を食べた。 | |||||||
14:20~15:00は再度入場し、雲が多くなったマチュピチュを見た。 | |||||||
バス | 有名な「グッバイボーイ」はいなかった。 | ||||||
バスがガードレールのない道を走るので、転落の危険を感じた。 | |||||||
バスを降りたところに店がたくさんあって、コースターなどを買った。 | |||||||
16:50発 | 列車 | 列車は4人がけの席で、前の席で外人がいちゃいちゃしていた。 | |||||
車内でファッションショーがあった。乗務員2人(男女)がモデル。 | |||||||
18:20着 | オリャンタイタンボ着後バスに乗り換えた。バスで約2時間移動。 | ||||||
20:15着 | クスコ | バスでレストランへ。途中、クスコの夜景を見た。 | |||||
食事中、生演奏と踊り(フォルクローレショー)があった。 | |||||||
誕生日の人と新婚旅行の人は、突然お祝いされた。 | |||||||
21:50着 | ホテル | HOTEL SAN AGUSTIN INTERNATIONALの109号室。 | 15 | 3400 | 晴れ | ||
23:00寝 | 古いホテル。 | ||||||
7/6 | 4:45起 | ホテル | 朝食はバイキング料理。コーヒーが濃いのでミルクで4~5倍に | ||||
薄めた。頭痛のため薬を飲んだ。 | |||||||
6:15発 | バス | 6:30にバスを降りて売店で塩を買った。 | |||||
6:40大きなバスに乗り換え、長距離移動開始。 | |||||||
大きなパンをサユリさんが買って、全員に配った。うまかった。 | |||||||
9:30 | リャマ、アルパカ、リクーニャ、ねずみのいるみやげもの屋で休憩。 | ||||||
10:30 | しばらくして、標高約4335m(4338m?)のラ・ラヤ峠で再休憩。 | ||||||
草が生えるだけのなだらかな山地にみやげもの屋があった。 | 16 | 4335 | 快晴 | ||||
11:40 | 昼食。おにぎり弁当。つけものが一番うまかった。 | ||||||
14:25 | チチカカ湖 | ここからの移動用バスに荷物を移し替えて乗船。 | |||||
トトラ葦でできた浮島ウロス島を船で訪問した。 | |||||||
ウロス島の上面から湖底まで17m、ウロス島の厚みは2.5m。 | |||||||
電気も水道もないところで生活している人に接し、豊かさの尺度 | |||||||
について考えさせられた。 | |||||||
少し頭が痛い。フジモリさんがここに小学校を作ったとのこと。 | |||||||
ガイドさんの全旅行中の解説では、フジモリさんは評判がよさそう。 | |||||||
教育、経済、治安についての評判。日本人向けのメッセージか? | |||||||
17:00 | ホテル | JOSE ANTONIO PUNO HOTEL 513号室。湖の見える部屋。 | |||||
3月に建ったばかりの新しいホテル。従業員も洗練された感じ。 | |||||||
18:00 | (夕食) | ★食事中ビールを飲んだ。これと食べすぎが悪かった。このとき以 | |||||
降、高山病が激しくなった。頭痛+吐き気で夜中に5回ほど起きた。 | |||||||
3回酸素吸入したが改善されなかった。ホテルの酸素吸入は無料。 | |||||||
7/7 | 4:20起 | ホテル | 昨日は苦しくて動けなかったので、朝、シャワーを浴びた。 | 0 | 3800 | 晴れ | |
朝食は食べず、酸素吸入した。 | |||||||
6:00発 | バス | 寒い。気持ちが悪い。 | |||||
7:00着 | フリアカ | 小さい町の外れに飛行場があった。機内での吐き気が心配。 | |||||
7:40発 | 飛行機 | LAN LP115 12K 3+③席 まん中あたり。 | |||||
CAはスリット付きミニスカート。あいそは悪い。40分で着陸。 | |||||||
(クスコ) | 一旦、クスコに着陸し、私たちは降りないままリマに出発。 | ||||||
リマまで1時間。 | |||||||
10:10着 | リマ | バスで昼食場所へ。 | 20 | 150 | 薄曇り | ||
途中、大統領官邸の護衛兵交代、サンフランシスコ教会を見た。 | |||||||
12:30 | (昼食) | レストランでペルー料理の昼食。前菜が多くて、メインをほとんど | |||||
食べられなかった。日本人向けの量にしてほしい。 | |||||||
14:20 | 黄金博物館見学。ガイドさんの説明が詳しすぎで疲れた。 | ||||||
16:30 | 日本人が経営しているみやげもの屋さんで買い物と休憩。 | ||||||
チョコレート、コーヒーなどを買った。シャワーを使った人もいた。 | |||||||
19:40 | (夕食) | 中華料理の夕食。味はまあまあだが量が多い。 | |||||
前に座った新保さんのお勧めは、インド旅行。次が北欧クルーズ。 | |||||||
帰りのバスから見ると、やっぱり日本車が多い。トヨタ、日産、本田、 | |||||||
マツダ、三菱、スズキ、スバル。警察の車はランクルなどトヨタ車。 | |||||||
タクシーはカローラ。長持ちするから評判がいいらしい。 | |||||||
00:45発 | 飛行機 | また飛行機。DL350 40G 2+3+②席 主翼の少し後ろ、右窓側。 | |||||
7/8 | 7:00着 | アトランタ | 2時間40分の乗り換え時間の間、検査は短時間で終了。ただ、 | ||||
添乗員の相原さんだけ詳細な質問をされて時間がかかった。 | |||||||
買い物少々、トイレなど余裕があった。 | |||||||
10:40発 | 飛行機 | デルタ航空DL55 51F 3+③+3席 中の右。妻の隣は佐藤さん。 | |||||
「携帯品・別送品申告書」「JTBアンケート」を書いた。 | |||||||
CAは約5人。平均年齢50歳。日本人は1人。 | |||||||
カナダ、アラスカの上空を通過。途中、追い風になった。 | |||||||
機内食は半分食べた。チキン、スナック、パスタ。約13時間。 | |||||||
7/9 | 12:40着 | 成田 | 着後すぐに解散。蒸し暑い。 | ||||
みやげもの屋、夕食で時間をつぶした。ラーメンがうまかった。 | |||||||
19:25発 | 飛行機 | ANA339 22J 3+③席 主翼の少し後ろ、右窓側。 | |||||
CAは4人。平均年齢30歳。 | |||||||
20分ほど飛んだところで揺れ始めた。雲の中で何も見えない。 | |||||||
アップルジュースを飲んだ。 | |||||||
20:15着 | 中部国際空港 | 次の日の朝食をコンビニで買い、電車に乗った。 | |||||
21:00発 | 電車 | 最寄りの駅まで470円。 | |||||
タクシー | 1880円。空港から自宅までタクシーで行くと7000円ほどかかる。 | ||||||
21:35着 | 自宅 | やっと到着。新聞と雑誌が玄関にちらかっているのを片付けて | 曇り | ||||
中に入った。 | |||||||
コーヒーのおみやげが不足してたり、ビールを飲んで高山病が | |||||||
ひどくなったり反省点はあるが、何とか帰れてよかった。 | |||||||
風呂に入って寝た。 |
中部国際空港から成田空港へ向かう途中、飛行機から富士山が見えた。
成田~アトランタ~リマを経由し、ナスカの近くの町に到着。
左の写真は、セスナで地上絵を見に行く前、解説を聞いているところ。
30分ほどセスナに乗って、地上絵の上空に着いた。
ハチドリ、サル、クモ、イヌなどが描かれていた。
地上絵に意識を集中させ、右旋回、左旋回をするうちに気持ち悪くなった。
事前に酔い止め薬を飲んでいたが、普通の量の半分しか飲まなかったのが原因かもしれない。
薬の量以外が原因の可能性もある。
リマから飛行機に乗って降りたところは標高3300mのクスコ。
ここで高山病の症状はなかった。
12角の石。
職人のワザを感じた。
イースター島の石組みと同じ印象。
アルパカ。
見た目も性格も柔らかい感じ。
ペットにしたい。
アルパカが集まった広場の中で見ていたら、人が近づいても逃げることはなく、餌を与えても急に集まってくることもなかった。
一日ボーっと、のんびりと見ているのは癒しのためにいいかもしれない。
クスコの近くの遺跡もすばらしかったが、あまり有名ではないのが不思議。
列車に乗ってマチュピチュに向かった。
マチュピチュ。
マチュピチュ内のようす。
日本にある石組みに似ているような気がした。
列車の中で、乗務員のファッションショーがあった。
チチカカ湖と湖に浮かぶ島:ウロス島。
住んでいる人は東洋人に似ていた。
チチカカ湖をバックにホテルの中で写真を撮った。
この日の夜から高山病がひどくなった。
酸素吸入しても改善は少なかったと思う。
リマで観光。
冬のリマは、ガルーアという霧が立ち込め曇天となる日が多いらしい。
訪れたのは7月だったので、噂どおりの霧で白々としていた。
高山病について
旅行から帰ってからも高山病の影響で体調が悪かった。
①37度くらいの微熱が続いている。
②口の中(特に舌の先)が痺れている。←いままで経験のない痺れ。
③だるい。
④便秘と下痢を繰り返す。
この症状が二週間くらい続いたと思う。
そこで、高山病について調べてみた。
高山病というのは、低地から高地に上がったときに、低気圧、低酸素に体が順応できずに起こる一連の症状の総称。
具体的には、標高1500m以下の場所から2000m以上の高地に48時間以内の短時間で到達した場合、一日に高度差500m以上上昇した時に発症し、頭痛、倦怠感、耳鳴り、腹部膨満感、睡眠障害などを起こす。
そしてこれがさらに重症化すると肺に水がたまる「高地肺水腫」や脳がむくむ「脳浮腫」になり、適切な治療を受けると共に、すぐに低地に下りないと大変危険な状態になり、時には死亡するケースもある。
厄介なことに、この高山病になるかならないかは、かなり個人差があると共に、同じ人でも体調などにより異なると言われている。
前回大丈夫だったから次回も平気とは限らないし、程度も人それぞれ。
【私の症状の原因として考えられるもの】
①単なる疲れ。
②高山病の後遺症。
③コカ茶の影響。 ←舌の先が痺れると書いてあるものがある。
④時差、気温差、気圧差、湿度差などの急激な環境変化。
ペルー旅行中の標高を滞在日数、場所と一緒に表にした。
日数 | 場所 | 標高m |
0.9 | リマ | 150 |
1.1 | 〃 | 150 |
1.3 | クスコ | 300 |
1.7 | 〃 | 300 |
1.9 | リマ | 150 |
2.1 | 〃 | 150 |
2.4 | クスコ | 3300 |
2.8 | ウルバンバ | 2800 |
3.1 | 〃 | 2800 |
3.3 | マチュピチュ | 2400 |
3.6 | 〃 | 2400 |
3.9 | クスコ | 3300 |
4.1 | 〃 | 3300 |
4.5 | ララヤ峠 | 4335 |
4.9 | チチカカ湖 | 3800 |
5.1 | 〃 | 3800 |
5.5 | 〃 | 3800 |
5.6 | フリアカ | 3300 |
5.8 | リマ | 150 |
これをグラフにするとよくわかる。
30年ほど前、標高4100mの山でも高山病になったが、今回はさらに高い場所に行ったため、症状がひどかった。
もう一度行くとすれば、チチカカ湖に行かないルートを選択したい。
以上、終わり。